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Channel: 家族が語る闘病記
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父の死

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今からちょうど6年前の夏でした。家のすぐ近くの病院にかかっていた父はその病院で

肺がんを発見してもらいました。

とりあえず父には伏せておいて、私が病院へ呼び出されました。先生が私に向って

おそらく肺がんに間違いない、もう一回精密検査をしてみるけれどその前にどうするかを

家族で考えておいてくれというのです。

先生の話だと肺がんにも何種類かあって、その癌に合わせた治療法があるというのです

その時父は83才でこの年で辛い治療をして生きながらえても、本人も苦しみを余計味わう

だろう、だったらこのまま放っておいて1~2年先に天寿を全うさせるのも一つの手段では

ないかと。


私は母には伏せたまま兄弟に連絡して、姉の家へ集まり話し合いました。兄弟には

治療をするからには告知をしなければ、辛い治療に耐えられないだろうからしっかり

告知すると先生は言っていたと伝えました。

兄弟たちもみんな辛い毎日を過ごしながら長く生かせるようなことは嫌で、結局

そのまま放っておくことに決めました。


私も姉ももう少し生かせる命を私たちの手で縮めてしまうのに罪悪感を感じ悶々とした

日々を過ごしながら、安らかな死を望んでいましたが、弟はその前の年に胃がんを手術

して、自分は助かったのに父を見殺しにしているようで、いてもたってもいられない

心境だったようです。


その後すぐに身寄りのない父の姉が具合が悪くなり、それまで介護保険導入前からある

市でやっている老人ホームにいられなくなり、父の代わりに私が伯母の介護施設への

入所手続きをやるようになりました。何件もの老健や特養を訪ねたりしましたが

どこの施設も本当に人に優しい所ばかりで驚かされました。私も物好きで若い

美容師さんに混ざって接客のセミナーを受けましたので、すべてを知っていましたから

今の時代は接客業以外でもこのように人に優しくしているのだなと変なところで

感心させられました。

その年の暮には何とか伯母を療養病床に入れてもらって、一息ついたのですが

あくる年の5月末に伯母は亡くなりました、悪い意味でなく父より先で良かったなと

思いました。伯母がいたのでは父もそれが気になって良い最期を迎えられなかった

だろうから。


父もホッとしたのか、7月には体調を崩し入院しました、もうこれで家には帰って来られ

ないのかと思いましたが、8月になり先生がお盆が来るから一回家へ帰って見るかいと

言ったら、先生がもう良くなったから退院だと自分で決めてしまって元気になって

しまいました。先生は何かあったらすぐに連れて来いと私に言っていましたけれど。


そのまま家で過ごしていましたけれど、12月になっていつものように自分で病院へ行って

待合室で待っている間に具合が悪くなりそのまま入院してしまいました。先生から急に

身内が次から次へと駆けつけると本人気が付いてしまうかも知れないから、順に

来るようにと言われました。

さあこれからどれくらい闘いが続くのかと兄弟で話をしていたのですが、その日の晩に

少し苦しんだだけで息を引き取りました。すぐ近くの病院歩いても2分ぐらいの所にある

病院なのに私も間に合いませんでした。


その時は死ぬのがわかっていたのだから、最後はみんなで看取ってやりたいと思って

いたのが叶わず悔いが残りましたが、最高の死に方をしたのではないでしょうか。


そのようなこともあって、幸代の場合は絶対に悔いを残してたまるかという思いが

強くありました。

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