前回書いたように父には癌の告知はしませんでした、父は自分が何の病気か知らずに
亡くなりました。でも医者を信頼していたし何の問題もなく素晴らしい最期を送れました
弟はすべてを知らされ、死の恐怖と闘いその後は再発との恐怖と闘いました。胃がん
でしたから手術ですべてを取り、あと再発するかは神のみぞ知るを医者に言われ一人
悶々と苦しんだそうです。確かに医者もそれしか言いようがなかったのかもしれません。
手術後の外来の診察時間は5分程度で外科医としてはその辺が限界でしょうけれど、
わからないわけではありません。
また知り合いの方は胃がんで本人にも告知していました、ただ本人には弟と同じような
ことしか言っていなかったようでしたが、家族には余命1年半のようなことを言っていた
そうです。本人はよくウチへ来て弟さんはどうと聞いてきました、そして自分は
調子が悪いと言っていました。亡くなった後家族の方から本人に隠すのが大変だった
周りの人からいろいろ言われて辛かったと聞かされました。そして奥さんいまだに
時間が止まっているみたいです。
さて幸代の場合です、始めから副甲状腺がんとはっきりと言われ、あまりにも症例が
少ないと言われていました。そして再発した後は、手術ができなければお終いだと
言われました。
おそらく私には何も言わず幸代はひとりで死の恐怖と闘っていたのでしょう、私は
いつXディーが来るのか、先の見えない病気との闘いに心が疲弊してしまいました。
医者は告知をしなければ辛い治療に耐えられないだろうと言います、それは本当のこと
だと思います。でも患者や家族はその瞬間から死の恐怖と闘わなければいけなく
なるのです、何人もの医者に診察時に私だって今日帰りに車にひかれて死ぬかも知れない
誰だって先のことはわからない、いつ死ぬかなどはわからないと同じように言われました
まるでそういうマニュアルでもあるかのように。それが患者や家族の慰めにでもなると
思っているのだろうか、あたながその日に交通事故で死ぬ確率がどれほどのもの
なのですか、全然わかっていないのではないでしょうか。
告知した瞬間から心のケアをしていかないと患者や家族は救われないのではないかと
思うのは私だけでしょうか、なかなかそのような体制がとれる医療機関はないので
しょうけれど、これほどの人が癌で亡くなる時代ですから少しは考えてもらいたい
ものです。
また看護師の皆さんも病院という組織の中で自分の役割が決められて懸命に努力して
いられることは、長い闘病生活を送ったためそれなりに理解しているつもりです。
本当に頭が下がります。
ただ言わせてもれえれば、病院というのは病気を治す、良くなっていく患者さんのための
システムはしっかりできていますが、亡くなっていく患者さんのためのシステムは
存在しないのではないでしょうか。そのために看護師もどう対処していいのか不安
なのではと思う時がしばしばありました。いろいろな処置は本当に良くやってくれるの
ですが、それが反対に機械的と感じてしまうこともありました。心をこめて処置を
してくれているのでしょうけれど。
幸代がもう死にたいと訴えてきた時にそれを先生に伝えました、何を勘違いしたか
死の恐怖と取り違えてしまっていたようです、看護師にもその辺は伝わっていたのですが
それ以前とその後は何の変化もありませんでした。この現実を皆様はどうとらえますか
そこの病院の話だよということですかね。
告知とは心のケアと思うのは私だけでしょうか、そして尊厳死というか延命治療へと
続いて行くような気がするのですが。
亡くなりました。でも医者を信頼していたし何の問題もなく素晴らしい最期を送れました
弟はすべてを知らされ、死の恐怖と闘いその後は再発との恐怖と闘いました。胃がん
でしたから手術ですべてを取り、あと再発するかは神のみぞ知るを医者に言われ一人
悶々と苦しんだそうです。確かに医者もそれしか言いようがなかったのかもしれません。
手術後の外来の診察時間は5分程度で外科医としてはその辺が限界でしょうけれど、
わからないわけではありません。
また知り合いの方は胃がんで本人にも告知していました、ただ本人には弟と同じような
ことしか言っていなかったようでしたが、家族には余命1年半のようなことを言っていた
そうです。本人はよくウチへ来て弟さんはどうと聞いてきました、そして自分は
調子が悪いと言っていました。亡くなった後家族の方から本人に隠すのが大変だった
周りの人からいろいろ言われて辛かったと聞かされました。そして奥さんいまだに
時間が止まっているみたいです。
さて幸代の場合です、始めから副甲状腺がんとはっきりと言われ、あまりにも症例が
少ないと言われていました。そして再発した後は、手術ができなければお終いだと
言われました。
おそらく私には何も言わず幸代はひとりで死の恐怖と闘っていたのでしょう、私は
いつXディーが来るのか、先の見えない病気との闘いに心が疲弊してしまいました。
医者は告知をしなければ辛い治療に耐えられないだろうと言います、それは本当のこと
だと思います。でも患者や家族はその瞬間から死の恐怖と闘わなければいけなく
なるのです、何人もの医者に診察時に私だって今日帰りに車にひかれて死ぬかも知れない
誰だって先のことはわからない、いつ死ぬかなどはわからないと同じように言われました
まるでそういうマニュアルでもあるかのように。それが患者や家族の慰めにでもなると
思っているのだろうか、あたながその日に交通事故で死ぬ確率がどれほどのもの
なのですか、全然わかっていないのではないでしょうか。
告知した瞬間から心のケアをしていかないと患者や家族は救われないのではないかと
思うのは私だけでしょうか、なかなかそのような体制がとれる医療機関はないので
しょうけれど、これほどの人が癌で亡くなる時代ですから少しは考えてもらいたい
ものです。
また看護師の皆さんも病院という組織の中で自分の役割が決められて懸命に努力して
いられることは、長い闘病生活を送ったためそれなりに理解しているつもりです。
本当に頭が下がります。
ただ言わせてもれえれば、病院というのは病気を治す、良くなっていく患者さんのための
システムはしっかりできていますが、亡くなっていく患者さんのためのシステムは
存在しないのではないでしょうか。そのために看護師もどう対処していいのか不安
なのではと思う時がしばしばありました。いろいろな処置は本当に良くやってくれるの
ですが、それが反対に機械的と感じてしまうこともありました。心をこめて処置を
してくれているのでしょうけれど。
幸代がもう死にたいと訴えてきた時にそれを先生に伝えました、何を勘違いしたか
死の恐怖と取り違えてしまっていたようです、看護師にもその辺は伝わっていたのですが
それ以前とその後は何の変化もありませんでした。この現実を皆様はどうとらえますか
そこの病院の話だよということですかね。
告知とは心のケアと思うのは私だけでしょうか、そして尊厳死というか延命治療へと
続いて行くような気がするのですが。